私がブログを書く理由

母親業を卒業し新しい家族の形でいきていく

家族って

三年前に離婚した。

これまで考えていた家族像は私の中で壊れた。

自分が離婚するなどいつ何時も想像していなかった

しかし離婚した。

知り合って濃い関係だった人間と二度と会わないと決めたのだ。

関係のない人間になると決めたのだ。

それまでの自分の人生観にはない決意だった

 

私自身は仲の良い普通の家族に育ったと思ってきた。

優しい母だった。母は家族が一番の優先順位になっていた。

自分のことは後回しだった。

時代がそうすることが当たり前だったのだ。

そんな私の育った家族をイメージしてしまう

両親も兄弟もいなくなった今,

今の私の子どもたちと比べてしまう

もっと家族が仲が良かったのではないか?

いやいや

都合のいいことだけ思い出し昔は良かったと考えてしまっているのだ。

 

私は兄弟喧嘩をよくやった。

年が近かったせいもある。2才違いの兄と妹と真ん中だった私は張り合っていたのだ。

私は常にイライラしていたように思う。兄と妹ばかりに手をかけているように見える母になんとか自分の方に抜いてもらいたいと願っていたのだとは思う。私こそ特別扱いをしてもらいたかったのだと思う。

母に何とかいい子に見られたかった

兄や妹と違って手がかからないしっかりした子供だと見られようとしていた

そんな子供だった

 

私の子どもたちは?

長男が不安症を患ったことで長男に家族が遠慮する関係性ができた。

母である私の特別扱いされたいと思っていたのは同じであったと思う

 

元夫が発達障害を持っていることで家族の関係性が歪んでいたのは事実だ。

家族皆が元夫すなわち父親に遠慮する人間関係だった。

その歪みを補うことができる母親ではなかった。

また私は家族を苦しめたのだ。

私は常に人を傷つける人間だった。

それを認めるのが怖かった。

 

誰もいなくなってしまった今

もう自分をごまかすのは何の意味もない。

間違いだらけだった私ができることは

徹底的に正直に生きること

 

私の妹は24歳で死んだのだ。生涯の中で一番自分の事だけ考えて存在するだけで愛されて心も体も人間として一番活発な時だったはずだったのに。

 

私の頭の中は私の育った家族と私が作った家族とが錯綜する

 

私がいまでは心の通う家族だったと思い出したところで本当のところは今の家族よりも心が通いあうことのない寂しい家族だったのではないかとふとそんな考えがよぎる。

妹が早くに亡くなったことから私はなかなか立ち直れないでいるのは確かだ。

姉である私は妹に対しての限りない思いやり心を持っていたがあまりに無知だった

妹に依存し妹を誰よりも好きだと自覚していたにもかかわらず私は妹に思いやりの行動や言葉を投げかけていなかった。

後悔ばかりだいまだに頭を駆け巡る

30年などほんの一瞬のようである

 

違う。もう自分を責めるのはやめにしよう。

私は攻めている自分のことを。

ずっとずっと怖くて考えられなかったことだが。

ずっとずっと分かっていた

私は妹を助けることができたのに私はただ無知すぎたのだ。

妹を助けたかった。

 

でももう自分を責めるの終わりにしよう

私はまだ生きて行く

前を向いて強い気持ちで生きて行く

人の目を気にして生きるのではなく自分が自分で正しいと思う道を自分の力で歩いていく

妹や死んだ家族はみんなそう望んでいる

すべては私の気持ちなのだ

今後の人生を自分を責めて生きて行くよりもも妹が喜ぶように生きること、そちらを選択しよう

過去嘆き悲しむのは終わりにする

 

今度は間違えない。

私は私の力で強く生きたことを子供たちに残りの人生でつたえる。

そしていつか私が死んだとき子供たちが自分の力で強く生きていってくれるだろうか

 

次男

もう子供のことを心配してもしょうがない。

次男は仕事を探しているが、新卒ではないのでなかなか思うような条件のところがない。というか何をどう探したらよいかもよくわからないのだろう。

もう一度働いてみるのが良い。それしかない。人にかわいがられるだろう。誰かと出会いがあるだろう。しっかり自立して生きてほしい。

それだけ願っている。

若いんだ。先は長いんだ。

きっと大丈夫だよ

とにかく自立をしよう

 

 

長男

私の家の二階には私を無視する長男が住んでいる

 

長男は29才だ。今年の2月私がコロナに感染した。二度目の感染だった。一度目の感染はコロナの初期のころだった。次男が同窓会で感染してきて、家族感染となった。その時も弟のことを責めていた。

私と次男が都内のホテルに移った、数日後そのホテルのエレベーターで対面した。

その時も家族にコロナを持ってきたことに怒りを表していた。

そして今年の2月も。そもそも私は自分がコロナに感染したと思ったとき何より長男に伝えるのが怖かった。コロナの感染を許さないだろうと想像したからだ。

次男が友人の家で体調が悪いと言い出した時、コロナだと確信した時、長男に対する恐怖の方が先だった。

コロナの症状もつらかったが、長男に対する恐怖のほうが大きかった。

 

要するに長男を怖がっている自分に問題があったのだ。

コロナに感染したことなど仕方がないことなのに。長男に遠慮をしている自分がいた。

コロナ感染を長男に伝えるのが一日遅かったのは事実だ。

 

長男に遠慮している母親

このことは長女や次男にどれだけ負担をかけていたか。

長男に遠慮している母親の家など健全ではない

ASDの父親がいた家庭が健全ではなかったために、長男に負担をかけてしまったのに。

私は間違いをたくさん犯したのに。

また繰り返している。

 

長男は自分の仕事の繁忙期にコロナに感染した家族に怒りをあらわにした。

長男は繁忙期なのに自分も感染してしまったことに怒りをあらわにした。

なんで早く言ってくれなかったのか。

家族に感染させないようにホテルに滞在してくれ。

繁忙期にコロナに感染したら会社をくびになるか、左遷だ

なぜ自分を第一に考えないのか

 

コロナで弱っていた私と次男に怒鳴り散らしに来た。

おいっ』と大声で玄関を開けて会社から帰ってきた。

仕事の途中で体調が悪くなって会社を早退してきたのだ。

自分もこいつらのせいでコロナになった。

家族がコロナであることを会社に告げなかったことで、くびになるかもしれない。

まじめで嘘がつけないのだ。

なんで俺ばかり苦しめるんだ。

いつもいつも俺ばかり苦しめる。

弟と妹ばかり大事にされている。

ずっと母親は俺だけをないがしろにしてきた。

これで会社までくびになる。

どうすりゃいいんだ。

コロナに感染して、すぐに俺に報告しないこいつらが許せない。

 

立っているのも辛かった私や次男に向かって立ってろ、腕を組むな、犬を下に置け

2時間近く訴えてきた。

最終的に今後の対応の確認をして納得した。

 

今後コロナに感染したら、ホテルに宿泊すること。

今回は感染したけれど家族が長男に報告をしなかったということにする。

次男はアルバイトは続けてよしとする。

等々長男からの提案を次男が受け入れて自分の部屋に帰っていった。

 

次男は体調が悪い中冷静に長男の怒りの言葉に対応していた。

申し訳なかったと謝りながら

次男の対応は素晴らしかった

怒りを表しても仕方がない。長男の納得するように対応するしかないと冷静だった。

私とは真逆の対応が長男の怒りを鎮めた。

 

私はそんな長男の態度に怒りを爆発させた。

しかし今でもそれは普通の反応だと思っている。

コロナで弱っている人間に対してやることではない。

今でも思っているが

長男の気持ちを想像すれば

長男にとって仕事は唯一自分が認められていると思う場所で、そこで阻喪があってはならなかったのだと思う。

 

もう少し他に自分を認めてくれる人間関係があったなら、余裕があったのだと思う。

会社は自分が認められている大事な唯一の場所なのだ。

それをまた家族が台無しにしてきた

許せなかっただろう

 

その時からだ

私を無視している

 

しかし私にはもうできることはない。

何か私に変えられることがあるのならいいが、わたしにはもうない。

長男が変わらない限り、私にできることはないのだ。

 

待ちましょう

結果はどうあれ待とう。

あとはなるようになる。私が悪いわけではない。

私らしく生きる以外私のやれることはない。

もう間違えない

ただ私らしく生きよう

母と娘と彼氏と

地方の大学に入学して5年間東京から600キロ離れた東北地方で独り暮らしをしていた娘

この春東京で就職し自宅に戻ってきた。

私は 娘との生活を 久しぶりに楽しんめるとおもっていた。

その矢先の出来事だったか。

マッチングアプリで知り合った彼氏ができた。

自宅に戻る

就職

彼氏

それは3つ同時に始まった。

私の気持ちは娘との 東京を久しぶりに楽しむことができると ウキウキしていたのであろう

そんな 矢先に 家に帰ってくることがあまり なくなり そして 突然 会社を辞めると言い出した 娘の 頭の中は 彼氏が中心になっていたのだ。

二人は舞い上がっていた 

 


私は 娘との 実家での 生活が 始まったと思ったら すでに終わってしまったような感じだった

私は多分とても寂しいのである もう少し楽しめるとおもっていた

そして今回二人はケンカをして別れるといった。

内心嬉しかったのである

彼氏とその母親との関係が微妙な親子のようで、私も不信感をもった。

しかし、又仲直りをしたとラインが昨日あった

正直ゾッとした

私が不信感を抱いた人に依存している感じがゾッとさせた

しかし娘の人生だ

もう私の気持ちは関係ない

私こそ娘に依存しているのだ。

寂しいのは事実だが、子供たちとはもう距離をおいていこう

今私のやるべきことは、三人の子供たちと距離をとること

もう一人前と認めること

自分のことで自分らしくいきること

 


今思う。同じ頃私の母は寂しかっただろうと。私は少しも母の気持ちを想像する事がなかった

母に甘えるばかりだった。

娘が私の気持ちを想像する事がないのは当然のこと。

距離をおいて、ただ信じていよう。それだけ。

息子と娘の就職

6年生の大学を卒業した 娘と 4年生の 大学を卒業した弟 の2人は 今年の4月 ともに大学を卒業をした。 今年4月は 3人の子供が 皆社会人となり 母親としての 仕事が 一段落 。

これから自分のための生活を ゆっくりと 考えながら 次の人生を 歩んでいくものだと 想像していたのだが。

人生そんなに甘くはない。 2人は 就職した会社を 1ヶ月も経たないうちに退職することとなった。 就職した会社があわずにすぐやめる パターンは 今の世の中 めずらしいことではないかもしれないが。

兄弟二人が同時にやめるようなことは まあ 珍しいことではないかと思う。

正直ショックだったし がっかりした。 いつになったら 自分の時間を確保できるようになるのだろうかと なんだかついてないなと グダグダと考えてしまった。

どこが 自分を責める気持ちも出てきた。

親が離婚したせいじゃないか。

ひとり親だからだろうか 。

甘やかしてきたのだろうか。

自分を責めても始まらない、 悪い方に考えても意味がない、 全て笑って生きていこうそう決めたじゃないか もう一度自分に言い聞かせてみる 子供たちの人生のほんの短い時間の出来事である うまくいかないことだってあるのだ 本人たちは 健康だし、決して 働かない つもりではない。

嫌な会社を続けて病気になるぐらいならやめた方がはるかにいい。

弟の方は 資格も何もない上に大学を卒業してから仕事を探していたので 非常に 条件が悪いが 、多少学習したため会社選びが多少賢くなったと思う。全て自分の意思で決めている。何事もトライ&エラーだ。自分の人生を自立して生きていってくれ。

幸せを祈るしかもうできないね。

娘の方は資格をいかして今度こそ多少長く勤められるところを探してくれ。

社会人として自立して欲しい。資格があって有利なのだから。

わたしは子離れをしないといけない。

#就活

#ニート

#子離れ

#自立

残念な人のこと、考えてみた

娘の彼氏の母親のこと 。 昨晩から一晩寝て 考えてみた。 娘を自宅で 看病してくれたことに対して 母親の私が 電話をして お礼を 言うべきであると何度も何度も言っている そうである。

26にもなった 娘の件で 母親の私に お礼を求めてきている。

娘は私にそんなことを伝えたくなくて、黙っていた。

それがあまりにしつこいので面倒になって、電話でお礼を言って欲しいと昨晩娘がいってきた。

確かにお世話になったのだから それに関して感謝しているし 電話をかけてきて 自分 にちゃんとお礼 しろと言うのなら そのことに関しては 何の異論もないのだ。

しかし私が問題としているのは 2点ある

もう未成年でない 26になっている 大人の 行ったことに関して 母親に 責任を 求めてくること

もう1点は そのことを 娘や私に 伝えてきた 彼氏の 成熟した大人ではない幼稚さ

26になった娘は 何度も私が 感謝していること は彼氏の母親に伝えている

実家でお世話になったとはいえ、自分の母親の主張は、彼氏が解決しておけばいいことで、娘や私に伝えなくてもよいことである

もう大人ではないか。そのレベルのことは相手に伝えず片付けるべきなのにそれができない母親と息子の親子関係が問題である

彼氏も母親も娘を大事に思ってくれているときいていた。それならば余計伝える必要のないことだったはずだ

縁あって知り合った貴重な人だったはずだが、要するに相手を気遣い、親しくなることよりも、自分の承認欲求を満たすことを優先しないと気が済まないのだ

まさに関わりたくない人間である

悪いがこの親子には近づかない方がみのためだな

 

 

残念な人

4月に実家に戻ってきた娘がいわゆるマッチングアプリで彼氏を見つけた。大学で資格を取得し4月から新入社員として就職した矢先だった。就職が先か彼氏が先かそうこうしているうちに、同時進行となった.

 

5年ぶりに実家暮らしになった娘としばらく同居生活を楽しめるかと思っていたところだった。

休憩のない日もある獣医の仕事が辛かったのか

彼氏ができて舞い上がっているときに、休みの少ない職場が辛かったのか、本当のところは聞いていないが。

本人は休憩のない職場をブラックと呼び、一ヶ月も経たないうちに退職することになった。

間違いなく彼氏ができていなければ、最低でも半年1年はその職場で働いていただろう。

久しぶりの東京生活と彼氏ができて。最高に舞い上がっている若者にとって他に選択の余地がなかったのだろうか。

57才の母はアルバイトさえ見つけるのに苦労しているのだから、若者の選択は残念なことである。

しかし娘は大学6年間行ったことで取得した獣医師の資格は再就職することはそれほど苦労しないであろう。むしろいくらでも選べる状況である。その点は安心はしている。

私が気になるのは実は彼氏の方である。もう大人であると認め。 8月から同棲したいという希望も反対する言葉をかけることはなく。 4月に知り合ったばかりの人間であるが、本人が選んだことを尊重したいと思っている。

しかしだ。多少の問題が持ち上がった。

コロナに感染したとき、彼氏の実家にいた。そのままそこで療養生活をしていた。

私からすると結婚を許せるような家族だと信頼感を持った。

ところがそんなに甘くはなかった。

彼氏の母親が、娘を看病したのだから母親(私)が御礼を何か送っても来ないことに憤慨していることを娘に指摘をしたというのだ。

これにはショックだった。

想像していた人間関係を築くことはできそうにないことに気づいたからだ

私の正直なところは本当に感謝していた。

ありがたかった。何か御礼をしたいと思った。ビールでもどうかなと考えていた。

だからと言って確かにすぐに対応していなかった。

二人が仲が良かったので、いつか会える時が来るだろうからその時にでもと確かに先に延ばしていた。

贈物を送ることが感謝に印だと判断する人間だったのだ

そしてそれは私に向けられたのだ。

それなら何か送ればいいと娘には話したが、

娘からすると問題はそれではないようだった。

娘にとっても彼氏の母親に言われたことは納得いかないことだったのだ。

 

実際私を悪く言ったのだと思う。自分の母親を悪く言われて傷つくと想像できないことが全く残念なことである。

伝える必要のないことだったと思う

会ったことのない、まだ信頼関係さえない、息子の彼女の母親を侮辱することは言うべきでないことだと想像できないことに問題がある

娘にとって私は人に感謝しないような人間ではないことをよく知っているのだ。

すぐにお礼をしないことが感謝していないと娘に伝えることがどうかしている。

家族でもない。思っていることを何でも口にするタイプなのだろう。

そもそも母親は私の娘をとても気に入っていると聞いていた。

そのため私も好意を持っていた。

しかし想像したような人ではなかったらしい。

とにかく残念だ

そしてそんな母親の言葉を娘に聞かせる彼氏にも失望した。

娘と仲良くしていて、嬉しかったが。人間早々長く付き合わなければその姿はわからないのだ。

正直娘にはこの家族から離れてほしい

まあ娘の人生だから、それは口にしないが