人に期待しない
本を読み、人付き合いを続け、日々の生活を変わらず淡々送っていく。
そんな風にして離婚後私はもやもやした気持ちを抱きながら、何事もなかったような顔をして以前と変わらないような生活を続けた。
いや、本を読むことは、離婚前にはなかったことだ。
徐々に徐々に読書量を増やしていった。本を読んで自分の世界を広げないとならない、私が前に進んでいくためには本を読むしかないと意識的にも無意識でも感じていたに違いない。
決して読書は好きではなかった。
高校や大学のの同級生は本好きが多かった。あらゆる本を読んでいただろう。
出版社に勤めたり、自分で出版社を立ち上げた人もいたのだから。友人に読書家が多かったのは間違いない。
私は友人を賢い人たちだと尊敬はしていたが、彼女たちの影響を受けなかったのは残念なことだったと改めて思う。
今離婚して3年が過ぎた。元夫との関わりを切りたくて、それだけが望みで、25年の夫婦関係を解消した。
嬉しかった、生き返ったような感情だった。
ありのままの自分に戻れたような気持だった。
自分の中に懐かしい自分が現れていた。
そして穏やかな日常が当たり前になったころ、新たな不安に襲われた。
不安を解消するために私は本を読み始めた。
何も知らない私は本を読まなければ生きられない。
それだけは感じ取っていたのだ。
読書は苦手だったがとにかく気になる本は読み始めた。
ジャンルは問わずに誰かが紹介していた本を気になったら読んでみた。
少しづつ読書量が増えていった
気が付くとそれまでの自分が見えてきた。
元々自分がどういう人間だったかが見えてきた。
お帰り、あの頃の自分。ありのままの私はこういう人だったよね。離婚するなんて考えもしなかったあの頃の自分。
自分のことだけを考えていた子供らしい自分。
自分は正しいと何の根拠もなく思い込んでいたあの頃の自分。
無知な自分。
無邪気にワクワクしていた自分。
根拠のない不安を抱いていた自分。
見栄っ張りな自分。
嘘つきだった自分。
自分に向き合うことをごまかしている自分。
常に人のせいにする自分。
周りの人に依存している自分。
私を思ってくれていたたくさんの人たちのことも見えてきた。
その人たちを大切にしなかった自分。
そう、私は自分が見えてきてしまったのだ。
ごまかして、直視せずに生きてきたのに、はっきりと自分が見えてきてしまったのだ。
そして私は新たな不安の中で苦しんでいた。
生きる資格があるのか。
大人になれずにこの年になってしまった自分にゾッとしたのだ。
たくさんの大切な人を大切にすることができずに自分のためだけに生きてきたのではないか。
私ができることはたくさんあったのに。
父と母、兄と妹に謝りたかった。
私が無知でなければ、まだみんな生きていたのではないか。
でももう誰もいないのだ。
辛く悲しい気付きだったのだ。
過ぎた過去を私は後悔するばかりの時間が流れた。
それでも淡々と日常は過ぎていく。
同時に読書量も増えていった。
苦しみを心の奥に抱えていたが、私の心身は今までになく健康になったきた。
体重は9キロ減った。久しぶりの標準体重だ
時々眠れないことはあるが、結婚生活の後半の不眠状態とは全く違う。
睡眠をしっかりとる気を使って生活できていること自体違うのだ。
離婚から3年、本だけは読み続けた。
私の中で色々な感情が変化していったが、読書だけは複利で増えていったはずである。
最近になって、相対的に自分を見ることができるようになった気がしている。
本を読んできたおかげではないかと初めて思った感情である。
そして最近読んだ本でハッとひらめいたことがある。
今の自分に必要なことは「人に期待しない」生き方をしようよ
ということだ。
私は今58才である。
常に人に期待して生きてきたのだろうと考えている。
そのために周りの人たちに思いやりのある行動をとれなかった。
そして自分に対しても思いやりがなかったのだ。
思い切って、いやいや淡々と「人に期待しない」生き方に移行してみたら、これまでの不安から少しでも解放されるにちがいない。
私にまず欠けていた思考習慣だ。
58年かかってしまったが、この3年間の読書と58年間の長い経験から今の自分に伝えたい
人に期待しない生き方を