私がブログを書く理由

母親業を卒業し新しい家族の形でいきていく

私の離婚のお話

3年前離婚した。嬉しかった。ただただホッとした。もう元夫とかかわらなくていいんだ。その一言だった。

三年前に離婚してから、離婚に至った自分事を整理したいという気持ちで頭の中はいっぱいだった。なぜ私はこの人と結婚してそして子供を育て、そして同じ家の中に暮らしかかわっていること自体が耐え難くなっていったのか。ぼんやりとは分かっていたが、自分とちゃんと向き合って考えることをしないで、離婚に至った。かかわっていることがもう耐えられなかった。逃げ出したかった。今でも覚えているのは、元夫が家から出ていった日のことだ。嬉しかった。もう自分は大丈夫だと思った。

しかしその後もまだまだ離婚までには道のりがあり、元夫とかかわらないとならないことはまだまだ続いた。

直接会わなくても苦しかった。

元夫は弁護士で自分で法律事務所を経営していた。

私はそこで経理を担当していたため、元夫が出て行った後も仕事は続いた。

仕事は週に二回午前中に事務所に行くだけにしていた。結局元夫とのかかわりを最小限にしたかったからだ。

仕事を楽しんでやることは夫の事務所では不可能で必要最小限で事務所に行った。

事務所の事務の女性とは親しい気持ちをもっていつも接していた。

当然自分の上司の奥さんという私の存在は気を使わざる負えないものだったと思うが、私は何人もの優秀な事務員を窮屈な事務所で丁寧に働いてくれて本当にありがたいと思っていた。

しかしやはり優秀な事務員が窮屈で面倒な法律事務所で長く勤めることは難しかった。

私の言う窮屈なというのは、事務所の広さのことではないのです。もちろん事務所の広さも決して広くはありませんでした。弁護士2人事務員2人でたまに私が行けば大人5人がワンルームの事務所に書類に囲まれ歩く余裕はないようなところでした

ボス弁護士である元夫は午後1時出社、午前中は自宅で競馬の予想もしくは本を執筆。本人はそれを仕事と言っていたが。自分の携帯番号は事務所の人には言わないので直接連絡をできない。指示を受けたいことがあっても午前中は決して出来ず。裁判所での仕事はすべで居候弁の弁護士にまかせる。本人は昼を外食後出社し、ルーティンのうがい。その後は書類作成だけを自分の机でこなし、6時には帰宅。

居候弁護士は午前中から夜遅くまで裁判所似通いながら働く時間は長かった。

私は居候弁護士に養ってもらっている気持ちがした。

居候弁護士は一度疲労で倒れ入院した。当然だなぁと思った。元夫は私にお見舞いに行ってきてくれ。と言ったが、本人に断られた。1日で退院し、仕事に戻った。

普通は居候弁護士は一緒にしごとをして色々教えてもらいたいはずだが、経験がない上に殆どのしごとをまかされていた。入院している場合ではなかったのだろう。真面目な大人しい弁護士だった。唯一長く勤めてくれた弁護士だったが、離婚後すぐその居候弁護士も事務所をやめたとのことだった。弁護士の仕事を最小限にしたい元夫と任された仕事を大人しく責任もってやってくれる居候弁護士としてある意味波長があってしまったのだ。だから一番長く働いてくれた。

弁護士は常に二人雇っていたがもう一人の弁護士は一年続く人はいなかった。精神的にダメージを受け泣き出してやめた人もいた。元夫に合わない人は続けるのは無理な事務所だった。

弁護士を育てる気はないからだ。

弁護士の仕事以外のこと、すなわち、競馬の分析と自費出版の本の執筆が本人にとってのやりたい仕事だったからだ。弁護士の仕事は本当はやりたくないのだ。だから居候弁護士を気にかける気もない。何とか仕事を任せたいだけだった。

午前中の仕事を私に何度もこれは仕事だからと繰り返していた。

何人もの事務の女性とも私は知り合いとなり、親しくなった。しかし仲良くなったと思うと、退社していき、おかげで私は新宿職安ビルへ従業員の雇用保険社会保険等の手続きで何度も通った。事務員にたいしても同じなのだ。事務員に心を配るきもちはない。任せた仕事をきっちりやってもらって自分の時間を乱されないことが大事なのだ。

私はその間にたっていたたまれないきもちだった。もっと従業員を大事にしてほしかった。しかしそんなことはできない人であることはわかっていた。それが私の辛く苦しいところであった。

 

 

私は残りの事務所の仕事はたいてい家でやっていた。

ほかの時間は趣味のバドミントンを楽しんでいた。今考えれば夫とはかかわらない場所で自分らしく生きていることが私の生きる支えとなっていた。

結局 元夫とは 心の繋がりがかけていたと思う。 元夫には 人と心で つながる ということを 理解するのが難しい 脳の作りを持って いたのです。

そして私は元夫と心の繋がりをずっと期待して求めていたのだ。

そもそも求めていたことが無理だったのだ。

だから憎んではいないのです。さんざん苦しんだけれど、自分が無知だったことが原因だったのだ。元夫のような特別な脳の作りを持った人はいるんだと言うことを私は少しも知らなかったのだ

無知だったから、その時その時考えるべきこと、選択すべきことを誤ってきたのだ。

自分をもっと俯瞰してみることができていたなら。

賢い人間でいたのなら

もっと早く周りに助けを求め、私がやるべき行動を選択できたのではないかと今は思うのです

しかし私がやってきたことは、元夫とはできるだけ距離をおくこと、心のうちを誰にも明かさなかったこと、誰にたいしても何事もない顔をしてきたこと

ストレスをためて、家族にやさしくできなかったこと

知識の大切さを心から実感しました