私がブログを書く理由

母親業を卒業し新しい家族の形でいきていく

離婚と家族と自閉症スペクトラム症①

3年前に私は離婚した。結婚生活25年、生涯離婚するつもりなどなかったのですが、私の人生に離婚が現実となったのです。私は自分を比較的思いやりのある人間だと思っていた。家族を大切に思う人間だと思っていた。友達には信頼されている人間だと思っていた。しかしそれらはただの思い込みだった。

離婚をする人間だし、家族となった人と生涯縁を切ることができるし、友人には離婚するまで何も相談することはなかった。

私は家族となって暮らしていた人間と生涯他人となる選択ができる人間だったのだ。私は自分がそんな選択をするような人間とは思っていなかったのに。

私はそんな人間だったのです。50才を過ぎて私はそんなことに初めて気づいたのです。私は50才で経験値が高いはずだと思い込んでいたが、ただのポンコツだったのです。

しかし正直言って元夫はかなり変わっていた。彼は自分がかなり変わっている(こちらが認識している変人さ)とは思ってもいない。自分を個性的な人間だと分析をしていた。私が彼に思っていた個性的とも全く違う。彼は自分を優秀で、個性的な考え方のできる、特別な人間と思っていた。

家族特に私、長男、長女はそんな彼に長く振り回された。

 

娘が相談したカウンセラーは彼(父親)を自閉症スペクトラム症候群ではないかと娘に話した。私はその時はじめて自閉症スペクトラムという単語を知った。

それと同時に涙が出た。そうだったんだ。よかった。そうだったんだ。

ホッとしたのだ。私を苦しめようとしていたわけではなかったこと、彼はいたって自分に正直にいただけだったこと。私が心の通わない寂しさを感じていたのは仕方ないことだったのだ。

なぜかうれしくて涙が出て、ほっとしたのを覚えている。

 

その時から私は自閉症スペクトラムとは何か知らなければならないと思った。本を読み、東京都の発達障害の相談室に予約をした。自閉症スペクトラム症候群の家族の会に参加もした。

そしてもう一つしなければならないと思ったことは、彼の両親に相談することだった。

自閉症スペクトラム症候群ということを義理の両親と共有したかった。私の状況を理解してもらい助けてもらいたかった。義理の両親以外助けてくれる人はいないのだから。

しかしそれは私の完全な見込み違いだった。

実の息子を発達障害であると報告に来た嫁に憎しみを持ったのだ。

それを感じ取ったとき私は二度と義理の両親の家を訪ねることはなくなった。